【介護エッセイ 】36年ぶりに一緒に暮らし始める…認知症の母と。(6) 【母の喪服】

【前回までのあらすじ】

36年ぶりに実家の母と暮らすことになった。

久しぶりの実家はゴミ屋敷…母は認知症となっていた。

これまでの親不孝を埋めるつもりで、私は母と同居したが

母の認知症は進むばかりだ。

娘hirokoの『こんなはずじゃなかった介護』の喜怒哀楽を綴ります。

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 母と同居して2年目、12月生まれの母は無事に82歳を迎えた。

 

母の姉達は全部90近くまで生きていたから、まだまだ大丈夫だと思う反面、

 

認知症の進行に、私も母本人も戸惑う日々が続いた。

 

記憶が薄くなるのは、ずいぶん前からで、

 

私が仕事でウチを空ける日は、町内会や老人会の行事も、

 

すっ飛ばしてしまうことばかりになった。

 

さりげなく誘いに来てくださるご近所さんには、いくら感謝してもしきれない。

 

そんなある日、ご近所さんさえ知らない事件が起こってしまった。

 

私が仕事から帰宅すると、母が喪服を着て座っていた。

 

「お父さん(私の父)が世話になった方が亡くなったから

 

香典を持って行った」と言う。

 

近所付き合いの事は、私はできるだけ口出ししないようにしている。

 

町内のご不幸なら、一緒にお悔やみに行ってくださる方があるから

 

まかせきりだった。

 

しかしその日、母は一人で出向いたようで、どうも様子がおかしい。

 

私は、喪服を着た母に「ひとりでお悔みに行ったと?」と訊いた。

 

すると母が「亡くなってはいなかった」と言う。

 

はあ? 喪服で香典を持って行ったところが、葬儀などなかった。

 

その上、車で送ってくださった、と母が小さい声で話すのだ。

 

さすがにこれには驚いた。

 

母に「亡くなったことは誰から聞いたの」と訊くが、

 

「わからない」と言うだけ。

 

ご近所数軒に訊いたが「そんな話はない」と言われるだけだった。

 

認知症の妄想症状だ。

 

母の認知症はこんなにも進んでいるんだ。

 

36年ぶりの母との暮らしは平穏のはずだったのが、

 

認知症は待ってはくれない。

 

これからはもっともっとこんな症状は出るのだろう。

 

私は介護職だから、認知症の知識はあると冷静に構えているつもりでも、

 

娘としてはおろおろする未来図が頭をよぎった。

 

その夜はいつもより浅くしか眠ることができなかった。

 

翌朝、玄関脇で泥まみれの靴を見つけた。

 

母の喪服用の黒靴だ。

 

田舎のたんぼ道を、失礼があってはいけないと、母は必死で歩いて行ったんだ。

 

そう気づいて靴を拭いていたら、涙がこぼれて、

 

母にはもう何も言えなかった。

 

認知症ならすっとんきょうな事をするかもしれない。

 

人に迷惑をかけるかもしれない。

 

でも当人は礼儀を重んじ、必死にしきたりを守っているのだ。

 

母と暮らす師走は、喜怒哀楽を乗せて猛スピードで過ぎていった。(つづく)